海士町立福井小学校

島根県 隠岐郡 海士町にある、福井小学校の公式noteです。 子どもたちに「行ってよかった」 保護者の皆様に「行かせてよかった」  地域の方々に「あってよかった」 教職員に「勤めてよかった」と思ってもらえる魅力ある学校を目指しています!

海士町立福井小学校

島根県 隠岐郡 海士町にある、福井小学校の公式noteです。 子どもたちに「行ってよかった」 保護者の皆様に「行かせてよかった」  地域の方々に「あってよかった」 教職員に「勤めてよかった」と思ってもらえる魅力ある学校を目指しています!

マガジン

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    海士町教育委員会や海士町の学校教育に関する情報をまとめたマガジンです。

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記事一覧

あとどフェスティバル2024

給食指導(11/15)

みんなの「やりたい」を叶えたい!(11/12)

生産者訪問ツアー

隠岐島前の大地から、自然の歴史を知る

昔はライバル、今は同僚。お互いを知っているからこそ高め合いたい。

あとどフェスティバル2024

[あとどフェスティバル]を実施しました。 今年度は、これまで以上に「子ども達が考え・つくる発表会」を目指したいと考え、いくつかの仕掛けを取り入れました。   まずはじめの仕掛けとして…。   二つのテーマを掲げました。 「学級の全員でつくる発表会」と 「見に来る人が来てよかったと感じる発表会」の二つです。 このテーマを常に考えながら準備に臨むことで、子ども達は「全員でつくることができているだろうか。」ということを互いに考えることができます。 また、「見に来る人たちが来てよか

給食指導(11/15)

毎月1回、海士中学校に所属の栄養教諭が来てくださり、給食の際、子ども達にいろいろな話をしてくださいます。 10月は、「給食センターの人に感謝の気持ちを届けよう」ということで、給食を食べた後の片付けの仕方についてのお話でした。 この日は、「海士町産の食べ物のいいところ」についてのお話で、海士町産の食べ物が給食に出ることのよさについて、三つの話をしてくださいました。 海士町でつくられる(採れる)食べ物が給食に出るよさの一つ目。 それは、「新鮮であること」です。 11月の給食

みんなの「やりたい」を叶えたい!(11/12)

海士町に[大人の島留学]で来島されている方々がいます。 福井小学校には、その中から二人の島留学生が関わっており、学校の様々な業務に携わっています。 その中のお一人が、全校朝会で全校児童に話をしました。 「みなさんは、学校で『こんなことができたらいいな。』と思うことはありませんか。 例えば、学校全部を使って全校児童で鬼ごっこ。 例えば、学校で動物を飼ってみたい。 例えば、給食が毎日ドライカレーだったらいいな。 みなさんの『やりたいこと』『叶えたいこと』『○○だったらいいな

生産者訪問ツアー

海士町の給食は、海士産の食材が多く使われています。いつも放送でお名前を聞く生産者さん。名前は知っているけれど、どんな人が作っているのか。給食センターの方、地産地商課やJAの方にお世話になり、生産者の方に会いに行ってお話を伺う「生産者訪問ツアー」を行いました。 ロドリゲスさんの畑一か所目。この畑では、ナス・シシトウ・オクラ・キャベツ・カリフラワー・白菜等、いろいろな種類の野菜を育てています。 どんなふうに野菜を育てているのか、畑を見せていただきました! 野菜作りは、肥料を

隠岐島前の大地から、自然の歴史を知る

火山活動によってつくられた隠岐の大地。3島からなる隠岐島前地域がどんなふうにできたのか。理科で「土地のつくりと変化」について学んでいる6年生が、隠岐しぜんむらの方と一緒に出かけてきました。 600万年前に現在の焼火山の場所で、火山が噴火しました。 噴火の様子をこんな装置を使って、実験して見せていただきました。 噴火が起こりマグマが出てきて、凹んだ地形になります。 初めはドーナツ状の1つの島だったのが 風や波で削られ… 3つの島に分かれ、西ノ島、海士町、知夫村ができまし

昔はライバル、今は同僚。お互いを知っているからこそ高め合いたい。

職員室で隣同士の座席の、原優一先生と熊本大樹先生。なんとお二人は幼い頃から知り合いで、同級生とのこと。今は同僚として一緒に働いているお二人に、同級生対談インタビューを行いました。 お二人の出会い熊本:いとこの家の隣の隣ぐらいが優一の実家なんだわ。小学4、5年生とかそれくらいのとき。 原:大樹のいとこと仲が良くて、よく遊んでいた。家の近くに集会所があったんだよね。友だちの友だちっていう感じで一緒に遊んでた。ちゃんと認知しだしたのはバスケ。 原:6年生になってからだわ。俺も